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[ Monochromatic Gokusaishiki ]
Jyoji Sawada & Tsugumi Yamamoto
UKSL-0003
タイトル:
モノクロームな極彩色 / 沢田穣治&山本亜美
価格:¥2,000 (税抜)
規格番号:UKSL - 0003
POS/JAN:4525118087690
CD発売予定:2020月8月1日
iTunes他デジタル配信:2020年7月22日
01 モノクロームな極彩色
[音の廻 絲の廻 オトノネイトノネ]
02 ⅰ たゆたふ絲
03 ⅱ 波紋の音(ね)
04 ⅲ 桜いくとせ
05 JYAKU-CHU
06 静寂な間を描く
Tr 01,03,04, Composed by Jyoji Sawada
Tr 02, 05, 06, Composed by Jyoji Sawada, Tsugumi Yamamoto
- プロデュース 沢田穣治 (Unknown Silence)
- 沢田穣治 [ コントラバス . ピアノ(06) ]
- 山本亜美 [ 二十五絃箏 ]
- 録音 + ミックス + マスタリング at studio Bosco滋賀
森崇(Bosco Music. Unknown Silence)
- アートディレクション & デザイン
株式会社ハイファイカンパニー (水田十夢 & 入江澄穂)
- 写真 白川重基
「モノクロームな極彩色」
購入 → 沢田穣治 商店
作曲 / 沢田 穣治
モノクロームから感じるシンプルさを描ければと思って作品に取り掛かりました。単色だからこそ想像を掻き立てられ、その本質には鮮やかな極彩色の絵を描く秘密が隠されているのでは、そしてまた極彩色の中にもモノクロームの表現と同じ本質を見ることができます。深く洞察することでその本質は独立するも、それぞれが糸で繋がっているかのように思えてきました、その思いは伊藤若冲の絵にも感じ感銘を受けました。そして自分にも音楽でも描けないかとの思いを音で綴った作品になりました。モノクロームな極彩色な音になっていることを祈りつつ。
CDジャケットには海洋堂の
凄腕造形師、古田悟郎氏の
若冲ニワトリを起用。
【フィギュア造形】
「伊藤若冲作南天雄鶏図」古田悟郎(海洋堂)
【special thanks 】
株式会社海洋堂(古田悟郎、白川重基、宮脇修一)
伊藤謙、長谷川 義則
「モノクロームな極彩色に寄せて」
令和二年四月二十日 大阪大学近くの書斎にて
伊藤 謙
(号・謙冲、大阪大学総合学術博物館)
東京で初めてこの曲を聞いた。場所は、東京とは思えない、穏やかな時間が流れるsonoriumだ。モノクロームで、極彩色、という何やら不可思議なタイトルにまず興味を惹かれた。これは若冲をイメージしてのことだという。解かる気がする。最初にそう感じた。逆説的ではあるが、この言葉がしっくりくるのが若冲の色彩感覚なのだろう。
私は、若冲の縁戚にあたる。詳しく説明することはここでは省くが、彼の弟の子孫にあたる。とある著名な若冲コレクションをお持ちの方に、『謙冲』の号を頂いた。彼は、〝 若 〟を血縁のない弟子に、〝 冲 〟の字を縁戚の弟子に与えた、という研究があるからだ。私は、今この原稿を、コロナ流行の巣籠り生活の中で書いている。若冲は晩年、京都伏見の石峰寺に隠遁していたが、そのような生活を今しているわけだ。この石峯寺には、何度か参拝に行ったことがある。今は、住宅街の真ん中であるが、江戸時代には静かな里山であったであろう。若冲の古びた墓もあるのだが、それ以上にインパクトがあるのが、若冲のつくった石の〝 ほとけ 〟たちだ。〝 若冲五百羅漢 〟と呼ばれているので、それなりの数があるのだろう。隠遁生活の中で、自分の環境をより善くしていくことに、凝り性の若冲は腐心し、極楽浄土までつくってしまったのだ。この数をみると、その情熱が伺い知れる。兎に角、寺の裏山に、色彩感覚豊かな若冲らしからぬモノクロームな極楽浄土が形成されているのだ。ここを初めて訪れた時に、『若冲は自作の〝 立体 〟化をしたかった』のではないかと直感的に思った。根拠はない、が、間違いないと思う。この想いを継いで、私が友人の海洋堂の凄腕造形師 古田悟郎さんと計画したのが、若冲ニワトリの立体化である。このCDのジャケットになっているのがそれである。
【フィギュア造形】
「伊藤若冲作南天雄鶏図」古田悟郎(海洋堂)
卓越した造形力だけなく、彼の動物愛と、それに伴う細部への観察力のお陰で物凄い作品が創りだされた。常なる造形師では、絵に負けてしまったであろう。先祖のやり残した想いを実現できたのではないかと密かに満足している。
話はモノクロームに戻りたい。
若冲は、動植綵絵に代表されるように極彩色の絵が著名だが、水墨画もよく描いた。若冲の水墨画は、彩色画に比べると評価は低いとされるが、本人としては最も描いていて落ち着くのはこちらであったのではないだろうか。『彩色画=余所行き』『水墨画=普段着』のような感覚である。何せ、彩色画はその後、御物になったくらいだから、常に傍に置いて落ち着くとは思えない。水墨画に描かれた、さまざまな動物たちは、最低限にまで簡略化され、若冲流のデフォルメが施され、ほほえましくもある。ここに感じるのは、このCDのタイトルにもある『モノクロームな極彩色』なのだ。
極彩色を描き切る技量があるからこそ、モノクロームが様になるとでもいうのだろうか、キュビスムのピカソが具象の天才であったようなものであろう。
このCDに収められた『JYAKU-CHU』もそんな感覚で描かれた曲なんだろうと、想像している。オールマイティなジャンルの奇才沢田穣治さんが、敢えて装飾を削り落として創りだしたこの曲を聴きながら、時空を超えた繋がりを感じて頂きたい。
©cafeBeulmans yoshiokavv
©ヒダキトモコ
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